音響音声学によるいい声の探求

耳にして気持ちの良い声が存在することがある。それを我々は『いい声』と呼んだりする。「いい」=「心地の良い」と解釈し、その声を欲する。さて、そのような音があるのであれば、練習し発音できるようになろうではないか。私は男なのでは、男性の良い声とされるフォルマントを探求する。言語心理学的「いい声」は、低く落ち着いた声であり、音響音声学においては速度が低く、平均ピッチが低いものとされる(新井,2010)。このことから察するに、豊富な人生経験による包容力のある声がいい声とされよう。

50年を1年に。そんな計画をたてる。声に恋する論。

ニュアンスの混同

外国語を学んでいると、しばしば文の意味している認識の違いに直面する。母語ですら受け取り方の違いがあるのだから、外国語に関しては当然の起こりうる状況である。

例として、以下の例文を使用する。

Would you tell me the way to the post office?

中学生で習う一般的な道の聞き方である。この文を書かせる問題を出題すると回答もまた未知なものとなる。中でも以下の二文が厄介である。

Do you know how to go to the post office?

Do you know how to get to the post office?

なぜ厄介であるかは、また別の時に考察する。

参考文献

高校入試問題27’ 英語

音の単純性

「単純と複雑」の対立関係は、たいていの場合そのものの数で判断しても過言ではない。例えば、ある作業をする際に10工程の手順を踏むのに対し、100工程あるものを私たちは「複雑な作業」と認識する。このことを基準とすると、言語の複雑さとは音素の数に比例するのではないだろうか。つまり音素の数をもって、単純な言語と複雑な言語とに分けることもできる。

もちろん言語がそのものが「複雑」と簡単に言えることもなく、また複雑になり過ぎなよう、言語独自の規制(constraints)がかけられ、その存在を保持している。しかしながら、それぞれの言語の特徴があるとはいえ音素の多い言語は如何にして生まれてきたのだろう。有名な一節が「バベルの塔」のお話である。

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バベルの塔の場面では、人類が協力して、天にも続く塔を作り神に挑戦したとされる姿が旧約聖書に記されている。しかしその行為に怒った神が、塔を破壊し、人々が再び協力しないよう、人類が使用していた言語を分けたのだ。これは神話の一節なので、証拠を挙げることは難しいが、何とも魅力的な話である。それは当時の人類たちが「ある特定の言語」を共に使用していたことである。勝手な持論ではあるが、子音の数、母音の数ともに少なく、単純とされる言語を使用していたと考えられる。その根拠は敵がいないからである。

言語多様化の仕組みとして、ひとつあげるのであれば、『敵を識別するために、固有の複雑な音を共有する必要があった』(堤.2012.p.110)という考えである。子音の多さは、空気の流れを複雑にし発音することから、一朝一夕で習得することは困難であると考えられる。つまり敵から自らの生活や文化を守り、後世へ残していくため言語(音素)を複雑にしたのではないか。

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例えば日本のような島国で、かつ他国との交流や争いが少なかったために、母音の数と子音の数が比較的少なく、単純なように思われる。またポリネシア語のような日本語の音節構造に近い言語も、島国でかつ自然が人を守っていた環境で話されていた。一方で英語ともなると、母音の数、子音の数ともに増え、音節(syllable)も単純な組み合わせとなっていないように思われる。音素の数と争いの歴史は比例するものか定かではないが、関係性がないとも一概に言えないことも事実である。

今回は「単純とはなにか」という定義を示さずに話を展開したが、音の単純性がもつ関係性として、人類の争いが深く関わっているのであろう。今後の社会において、これ以上、言語が複雑になることはされたい。つまり争いが減っていくことを望む次第である。

参考文献

堤江実 (2012) 『日本語の美しい音の作り方』三五館

町田健 『音を愛でる 日本語の音』 まちのおと 人と人、まちと人をつなぐ vol. 253 Retrieved from (http://www.jcca.or.jp/kaishi/253/253_toku2.pdf)

ニューラルテスト理論

少し評価方法について考えてみる。Neural Test Theory (NTT)/潜在ランク理論によると100点満点のテストにおいて65点の生徒と70点の生徒との間に、絶対的な学力の違いを判断することは難しいというものである。(詳しくは→http://www.rd.dnc.ac.jp/~shojima/ntt/index.htm)この理論を応用することによって、現在多くのテストで用いられている、点数によるランク付けを見直し、ある範囲での点数をグループ化し、評価の対象として判断材料にするものである。

この理論が示す筋を今後調査していきたい。

関連

http://ci.nii.ac.jp/els/110009458206.pdf?id=ART0009928803&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1424089773&cp=

英語を知覚するとは(長期的実験の施行)

「学習アプリ活用における英語リスニング力向上の展望」と題して長期的な学習の観察を自らの体験を通してみていきたいと思う。学習アプリを選ぶ際に参考にしたのが、晋遊舎から発売された『英語教材 最強の一冊』より、リスニング(聞く形)から「超字幕」という学習アプリを取り上げてみる(p.150)。

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映画一本丸ごと字幕(日英)付きで聞くことができ、単語やフレーズを映像とともに覚えることのできるアプリのようである。ただし映画一本が1800円ともすると、なかなか何本も購入するのは容易ではない。映画館に何度も行ける(持ち運びもでき、好きな時間に見られる)感覚で考えるならばお得かもしれないが…。どっちにしろ、英語の知覚トレーニングの一環である。アプリ内設定で会話の速度調整がある。しばしば言われるのが、英語を速いと感じるということである。Osser and Peng (1964)曰く、日本人が速いと思って聞いている英語は、我々が普段使用する日本語の速さと大差がないと述べている。つまり知覚に関して障害があると感じる人が多いようだ。音声区切りのパターンを理解し、かつ意味を捉えることは言語距離が大きいほど難しいことも考えられる。広実(2010)は、英語子音連続とその知覚における影響を述べている。要するに、日本語には見られない子音連続(stress/CCVC/)が、英語知覚を妨げる原因の一部である、と言える。しかしながら実際にはCVCV(soccer)の音節構造であっても、単語が長いものであると、その速度が子音連続する単語と変わらず速いと判断しているようである。つまり英語の中の日本語と音節的に類似している構造であろうが、知覚において障害となっているのである。結局のところ、第二言語を学ぶ際に、母語の有効的な利用も考えられるが、日本人英語学習者では、モーラタイミングの知覚をストレスタイミングの知覚に切り替えることにより、音声を認識スムーズにできる過程へといきつくのである。ストレスタイミングへの切り替えは、このアプリを活用し実践してみることとする。

長々と綴ってしまったが、兎にも角にも「超字幕」を利用し、英語の知覚力の変化を実感したいと思う。選んだ題材は”The Holiday” (2006) の作品である。英語レベル☆ではあるが、英語米語ともに使われるため、脳内の言語スイッチを切り替えながら聞く必要がある。また、日常・恋愛ものであるため、細かな描写が期待される。

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同じ教材を繰り返し用いることで、よい反復の練習となる一方で、飽きないかが不安要素である。また来月、経過観察を挙げる予定だ。しばし待たれよ。

参考資料

100%ムックシリーズ 英語教材 最強の一冊(2014) 晋遊舎

広実義人 (2010) 『英語子音連続が日本人話者によって知覚される発話速度に与える影響』

Osser, H. and Peng, F. 1964. “A cross-sultural study of speech rate”, Language and Speech 7, 120-125.

音のない母音 【子音vs.母音編】

本日はブログタイトルでもあるVoiceless glottal fricativeについて考えてみる。日本語で言い換えるならば、無声声門摩擦音である。私は「音のない母音」と呼んでいる。さて、この音が如何にして、その不安定さを保持しながら現在までにいたるか…から考えてみよう。

その① 子音 vs. 母音

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摩擦音に関して書き出しはこのように始まる…”Fricative sounds are those in which a turbulent airstream is produced within the vocal tract… Forms of [h] is produced at the glottis are classed as fricatives, but it is more appropriate to consider them as vowels.”(p.137)

but 以下で見られるように子音として分類されているのにもかかわらず、母音として扱う方が適当であるとされている。では母音の章へと移ってみようではないか。すると約10行にわたり簡潔に述べられている(以下抜粋)…this sound have been described as voiceless of the vowels (Ladefoged 1971). But, as Keating (1988) has shown, the shape of the vocal tract is often simply that of the surrounding sounds (p.325).ますます、[h]に関しての説明が曖昧である。「摩擦の無い母音」=口内での舌は平らな状態であり、ただ単に息が吐き出された際に生じる発音である。だからこそ、肺から押し出された空気は声道(vocal tract)のどこにも阻害を受けることなく、音声化される。

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子音では口内のどこかにぶつかり、その際に有声か無声かで分類される。母音では舌の高さや形で分類される。これらのことを考えに入れると無声声門摩擦音[h]は、結論として、子音とも母音とも区別がつきにくい音として扱われている実態が視覚化されてくる。必ずしも、どちらかに分類しなければならないわけではないが、特異性を保持したままの音素として、残れるかが懸念される。

参考文献

Ladefoged, P and Maddieson, I (1996) “The sounds of the world’s languages”